住まいと季節の習わし
皆様、あけましておめでとうございます!
昨年はこちらで書かせていただけ、とても幸せな一年を過ごすことができました。
ありがとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
さて、年末年始、私は夫の実家で過ごしました。夫の生家は周囲に田んぼや畑のほか、林があちこちに残る場所にあって、昼も夜も静かでのんびりと過ごすことができました。
食べて眠る生活で時折散歩をして、と、まったり骨休めをできたわけですが、散歩をしていてふと気づいたことがあって。
それは、門松。
皆様のご自宅では門松を飾られていますでしょうか? 私の家は、私の現在の住まいも、実家も、夫の実家も門松を飾っていません。実家、義実家では鏡餅は飾っていたけれど、我が家ではそれもなくて。
飾るも飾らないもそれぞれの家の考え方によるところが大きいものだとは思いますが、きちんと飾られているご家庭を見ると、丁寧に暮らされているなあ、という印象を受けます。
なんで飾らなくなっちゃったのかなあ……。うちってば……。
でもそこで思ったのですよね。
そもそも正月飾りを始め、住まいに関わる季節の風習をなぜ行うのか、私はちゃんとわかっているのかな? と。
ということで、本日はその辺りを調べてみたいと思います。
1. 正月飾りを飾るわけ マンションにおいてはどう飾るか
まず、最初に取り上げたいのは、やっぱり正月飾りですね。
思いつく正月飾りを挙げてみます。
・門松
・注連飾り
・鏡餅
こちら三つが正月における三点飾りというそう。
これらをなぜ飾るようになったのか?
それぞれ調べてみました。
・門松
門松だけではなく、正月飾り全般にいえるのは、年神様をお迎えするためのものである、ということ。
年神様とは、歳神様とも表記され、高いお山からお正月の時期に下りてこられ、福徳をもたらしてくださる神様とされています。
また、祖先が神格化し、私たち子孫を見守ってくださるという、祖霊信仰にも繋がっていて、ご先祖を年神様とされる場合もあるとか。
いずれにしても、遠くからわざわざお越しくださり、私たちに豊かさ、守護をくださる神様、ということですね。
その年神様をお迎えするためのひとつ、門松は、家の場所を神様にお知らせする目印として門前に飾るとされています。
一般的な形としては、松、竹を基調としたデザインが多くて、私も門松といえば、その2種を用いた形をイメージしていました。
じゃあ、なぜにこの2種が多いのかというと、おめでたいから、ということではなくて(まあ、良き意味が込められたものではありますからおめでたいも間違いではなさそうですが)それぞれに以下の意味があるようなのです。
松……一年中葉が落ちない、常緑樹で生命力にあふれていて、神様が宿る木とされているから。また、祀る、にかけて、ともいわれている。
竹……まっすぐ伸びやかに伸びる姿から子孫繁栄、長寿、など長く慶事が続くことを願って用いられているそう。
長く、生命力にあふれて。今こうして文字として記しているだけでめちゃくちゃありがたそうだと感じます! ちなみに門松、という名前ながら、竹の存在感がすごくてついつい竹に目が行くのは私だけなのか……と思ってしまうこともありますが、そこはまあよしとして。
調べてみると、門松の竹の切り方にも種類があるようです。
大きく分けてふたつあり、ひとつは節で水平に切る「寸胴」。もうひとつは斜めに切る「そぎ」とのこと。
寸胴はお金が溜まりやすい形と呼ばれてもいるよう。確かにお金いっぱい入りそうです……。
地域によって切り方は違うようですが、もともとは寸胴だったところを徳川家康が斜めに切る「そぎ」を始めたことから広まったとの説が有力なよう。なぜに斜めに切り始めたのか、調べてみると、三方ヶ原の戦いにて武田信玄に敗北したことを受け「次は斬る」の戒めとして始めたのだとか。
この説を念頭にそぎの門松を見ると、覚悟がずっしりと肩にのしかかってきますね……。
この「そぎ」の例からもわかるように、門松の形態は時代と共に移り変わってきてもいて、これからも変化していくのでは、と感じさせます。
まあ、時代は変わって、形も変わっても、「年神様をお迎えする」という目的は変わらないので、飾る場所は玄関の前、門前になります。
ただ一戸建てならそれもしやすいですが、マンションだと難しいですよね。玄関の外は共用スペースでものを置くことを禁止されている物件も多いですから。というかほとんどそうかも?
じゃあ、どこに置くのか、というと、玄関を開けた中、入り口の両脇に設置、という形でも問題ないようです。
お迎えする心があれば、神様にはちゃんとわかっていただける、ということなのかもしれませんね。都市部で生活されている方が多い現代、一戸建てより集合住宅で生活する方も増えている状況で門松を立てるご家庭も減ってきてはいるのかもしれませんが、ささやかにでも立てることで、実り多い一年を迎えられるとも思うので、私も来年はちゃんと立ててみたいなあと感じました。
・注連飾り
お正月になると神棚や玄関に注連飾りを飾るお宅も多いですよね。あと車につけられているご家庭もあります。じゃあ、そもそもなぜつけるのか? 注連飾りってなんぞや?と調べてみました。
まずは注連飾りという言葉。そして、形態から、連想するのはやはり、注連縄。この注連縄の意味を調べてみると、神の世界と現世の境を示すものであり、注連縄の向こう側は神様のいらっしゃる神聖な場所である、ということを示しているとされています。なお、注連縄の始まりは、天照大神が天岩戸から出られたとき、もう岩戸に戻られることのないよう岩戸を塞ぐのに使ったことが始まりとする説があるようです。ちょっとだけ違和感? ただそれだけ厳格なものであるという印象をこの説からは受けます。
注連飾りはその注連縄と同じ意味合いで使われるもののよう。人が思いっきり住んでいていいのだろうか、大丈夫だろうか、と不安になりましたが、人はおりますが、ここは神様がいらっしゃっても大丈夫な神聖な場所ですよ、と示すために、神様をしっかりお迎えするための準備として飾られるもののようです。
お清め的な意味がある、ということなのでしょうね。そう考えると、なぜ私は今年飾らなかったのか、と悔やまれます。来年は飾ろう。
さて、そんな注連飾りですが、こちらも門松同様、地域によって形態が変わってくるようですが、基本的には注連縄に、縁起がよいとされる以下のものをあしらった形になるといいます。
神垂(あみしで)=注連縄に施す紙片や木綿のことで神域を表すのに使うもの。
裏白(うらじろ)=シダの葉。裏が白く、潔白の意味を表すもの。また長寿の意味も持つ。
譲り葉(ゆずりは)=三年ごとに新旧の葉が入れ替わることから、長く子孫が続く世代交代、子孫繁栄の意味がある。
橙(だいだい)=柑橘系の実。代々家が栄えるとされている。
並べてみると、縁起が良いですねえ! しかも願いがたくさん込められている。これらを玄関や神棚に飾ることは、長く続いてきた慣習としてだけではなく、気持ち新たに正月を迎えようという自分自身の決意にも繋がる気がいたしました。
・鏡餅
どこに飾るのがベストなのか、はっきりわからないのがこちら。
門松も注連飾りも玄関よね、と納得なのですが、鏡餅だけはもやっとしているのです。
というのも私の実家ではなんでだかあらゆる場所に飾っていた記憶が……。
とはいえまず、そもそも鏡餅とはなんなのか、というところから調べてみましょう。
お正月に来ていただく神様とは「年神様」という神様であると前述しましたが、その年神様が在宅してくださるところ、依り代となるものが鏡餅なのだそうです。
神様がいてくださったお餅には魂が宿っており、その魂をいただくことで私たちも力を分けていただける、そんな意味があるそうな!
知らなかった……単純にお供えものだと思っていました……。
ではなぜ、あの形なのか。これにも意味があるようです。
もともと鏡は、神聖なものとして扱われるものであることから、神様がいらっしゃる場所であるお餅を敬い、鏡餅と呼んだそう。丸い餅をふたつ重ねるのは、餅を鏡に見立て、なおかつ、太陽と月を模してのことともされていますが、丸餅は縁起が良く、重ねることで幸も2倍になるからという願いも込められているとか。(ちなみに平安時代には鏡餅を飾る習慣があったけれど、当時は2段重ねではなかったそうで、時代が進むにつれ2段になったようです)
素敵だ……。
飾り付けとしては、
・橙(だいだい)=餅のてっぺんに乗るもの。代々という意味合いがある。
・御幣(ごへい)=赤と白の紙で作ったもので魔除けと繁栄の意味がある。
・譲り葉(ゆずりは)=世代交代、子孫繁栄の意味がある。
・裏白(うらじろ)=シダの葉。裏が白く、潔白の意味を表すもの。夫婦円満の意味も。
注連飾りととても似ていますね。
じゃあ、どこに飾るのが正解なのか。ヤマダ家ではあちこちに飾られていたけど……と調べてみると、複数飾るのは正しいようです。神様に見ていていただきたい場所に積極的に飾るものらしい。
ですから、玄関、神棚、仏壇、床の間、リビング、子ども部屋、など、大事と思う場所に飾ってよいみたいです。
ただ、神様がいらっしゃる場所、ということを忘れず、神様が居心地よく過ごしていただけることを意識して飾ることがマスト。
騒がしすぎる場所は好ましくなく、床など、人が見下ろすような場所もNGだそう。じゃあトイレも駄目なのか?というとそういうことでもないらしく、トイレにも神様がいらっしゃるから飾るのはいい、とする説も。
もっとも、これも調べていて悩ましかったのですが、地域や家の風習にもよるところがやっぱり大きいようで、トイレは駄目とする説もありました。
難しいですね……。
まあ、家人が主として使う場所、というのは共通しているようですから、床の間、床の間がなければリビングに設置というのは問題なさそうと判断し、来年はリビングに飾ってみることにします。
2. 節分にまつわる話
さて、では正月以外にも住まいに関わる季節の風習はないのか。
ありましたよ。節分が。
節分といえばこれ!
「鬼は外! 福は内!」
家を猛烈に意識させるフレーズですよね。
子どものころから当たり前に行ってきた習わしだけれど、そもそもなぜこれを、この時期に行うのか。私はあまりはっきりとはわかっていないように思います。
調べてみたところ、以下のような理由で豆まきをすることがわかりました。
それを語るために、まずは節分という言葉の意味から!
節分とは、季節の分かれ目という意味だそうで、立春の前日を指します。つまりここは冬と春の境目ということですね。一年の中で春は命が芽吹き、花開く、とても大切な季節として古来より考えられていました。しかしその季節の分かれ目には悪いものもまた跋扈するとも言われており、そうした悪いものによって家人が病にならないように、災厄が訪れないように、豆をまいて祓うのだそうです。この習わしは、平安時代、鬼やあやかしがいたと固く信じられていた時代に宮中で行われていた厄払いの儀式、追儺(ついな)がルーツともいわれています。
宮中で!と聞くと、ちょっと雅な気持ちになりますね。
ちなみに、鬼役に向かって豆をぶつける、くらいしか私は作法を知らないのですが、実は結構、細かくやり方が決められているのです。
まず、時間。
炒った豆、福豆を日暮れまでに準備します。それから戸口や玄関にひいらぎの枝にいわしの頭を刺したものを飾って新たな鬼が入ってこないように封じます。
実際に豆をまくのは20時から22時ごろ。鬼が現れる時間帯に狙ってまくようです。まく時は家の全部の扉を開け放してまき、終わったらすぐ閉める。出ていった鬼がもう入ってこないように!
まく人は誰か、というと、その家のご主人、年男、年女、厄年の人などなど、一応定めはあるよう。現在だとあんまり定めなく楽しくまいていますけどね。
いろいろ決まりはあるようですが、鬼は静かな夜を好むようですから、笑い声があってにぎやかに豆をまくのなら、鬼も寄り付きたくなくなるはず!
なお、不動産と節分には大きなかかわりがあるようで、家を建てるなら節分の後が良い、という言葉があるそうです。
なぜに?
調べてみると、節分がどうというよりも、年回りが影響していることがわかりました。
年回り。厄年がわかりやすいですが、年齢によって吉凶が一年を通してあるとする考え方で、この年回りは旧暦の1月、節分を境目にして新旧切り替わるとされています。
節分を越え、春になることで新しい一年が始まる、悪かった年回りもここで終わる。だから節分が終わったら建てよう、というように。
節分ひとつをとってもたくさんの意味や願いがあるのですね。
3. 終わりに
今回、季節と住まいの習わしについて調べていて思ったのは、古から伝わる習わしというものは、形を変えながらもずっと続いていくものなのだなあ、ということでした。
鏡餅や節分のように平安時代にはその風習があったとされる場合であれば、ゆうに千年以上語り継がれているわけですよね。神や鬼、あやかしは存在しているかもしれないけれど、科学的証明は難しい。しかも現在は科学が発展した令和の時代。それでも私たちは鏡餅を飾り、節分には豆をまき恵方巻を食べる。(恵方巻が始まったとされるのは諸説ありますが、戦国、江戸時代あたりらしいです!こちらも歴史長い!)それだけ願いや祈りというものは普遍的なものであり、私たちを守ってくれる住まいとも密接な関係にあると強く感じました。
これまでおざなりにしていた正月飾りを来年からはきちんとしたいです!
ということで、今回は住まいと季節の習わしについて書かせていただきました。
いかがでしたでしょうか。
今後もさまざまな角度から住まいについて考えていきたいと思っておりますので、どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます!