札幌日記⑧ご先祖様はどこから?

こんにちは。札幌在住のコーラルスタッフ・仲澤です。
突然ですが、私は大人になってから少し後悔していることがあります。それは、亡くなった祖父母に昔の話をもっと聞いておけばよかったな、ということです。
子どもの頃はあまり歴史にも興味がなく、祖父母が昔の話を始めてもあまり関心がなかったのですが、大人になって、特に子どもが生まれてからはご先祖がどんな思いで北海道に移住してきたのだろう?と考えることが多くなりました。

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祖父は私が高校生の頃に亡くなりましたが、少し覚えていることは、祖父の父(祖父が明治45年生まれなのでおそらく明治初期の生まれでしょう)が美術の教師だったそうで、開拓時代に北海道に美術の教員が不足していたために北海道に呼ばれた、というような話をしていました。祖父は美術ではなく音楽の教師でしたが、話し好きだったためいろいろな昔話をしてくれました。ところが残念なことに細かい記憶が全くないのです。今思えば非常にもったいないことをしました。

開拓の村

調べてみると、明治3(1870年)年に北海道に開拓使が設置されたそうで、もっとも初期の開拓民として戊辰戦争に敗れた仙台藩の士族がやってきたそうです。仙台藩の家臣団は敗者であるゆえに汚名を着せられ厳しい処遇を受けるか、北海道へ渡って開拓民になるかの選択を迫られ、北海道移住を決意した志願者は、白石村(現在の白石区)に入植したとのことです。現在私が住んでいる「白石区」は宮城県白石市と今も地域ぐるみの交流があります。
続いて大規模な入植があったのが1875年~1876年にかけての屯田兵の入植でした。この時期は、日本近海の領土が漠然としていたために、国防と治安のためというのが大きな理由だったそうです。そのため18歳~35歳までの身体屈強な者が屯田兵として採用され、一般的な移民とは異なり、土地の開拓だけではなく兵役の義務を負っていました。札幌に入植してきた屯田兵の出身地は、ここでも宮城県が最も多く、続いて青森、福島、山形などとなっていたそうです。入植地は、琴似・山鼻・発寒に広がっていました。なるほど、その地域は確かに昔から栄えている場所で、なんとなくイメージがわきます。そのため方言でも東北と共通するものも多いので(例:めんこい→かわいい (ゴミを)投げる→(ゴミを)捨てる ばくる→交換する)東北とのつながりを感じます。また、北海道で多い苗字と東北で多い苗字は一致するところが多いようです。

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現在の札幌市民は世代交代の末、私たちより下の世代が自分のルーツを探ろうとしてもせいぜい祖父かその前くらいまででしょう。「おじいちゃんは、仙台出身と聞いているがそれより前はわかりませ~ん」という方が大半です。先祖代々?と言った言葉も札幌ではあまり聞かれません。
現在の札幌市民は世代交代の末、様々なルーツを持つ開拓民たちが寄り集まって細かい風習やしきたりなどにこだわらない合理的な性質が生まれたのかもしれません。

それにしても、子どもの頃はほとんど興味がなかった先祖のルーツや札幌の歴史について、大人になってからこれほど面白く感じるとは思いませんでした。せっかく札幌に帰ってきたので、あちこちの郷土資料館にも足を運んでみたいと思います。

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